2009年08月30日
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流浪の下高井戸駅についてのFAQ(よくある質問)に少し答えてみる

Written By: 川俣 晶連絡先

 こんばんわ。流浪の地元駅「流浪の下高井戸駅」倶楽部の時間です。

 「て」さんよりメッセージを頂きましたが、FAQ的な要素もあるのでここで取り上げます。

下高井戸駅積み替えホーム仮説・貨物輸送と渡り線の位置とホーム移動の関係に対して

名前: て

本文:

こんばんは。鉄道ピクトリアル、昔読んでたなぁ~と思いながら、楽しく見ていました。大正末期の文章、戦前の駅構内図、色々下高井戸駅は、ありますね。以前、川俣さんが指摘していた、世田谷線からの京王線への連絡線との関係、特に時代的には、どうなっているのでしょうか?凄く興味があります。ご指摘の市場周辺の建物、道路の位置関係、又、線路南側のスタープラザの駐車場が、関係している気がします。現在は、東武ストア―になっていますが、20年以上前は、京王ストア―だったと聞いた事があり、あの周辺の事、東側の駐車場を含めて、ワクワクしてきました。続編楽しみです。

下高井戸連絡線 §

 京王と玉電を結んだ下高井戸連絡線に関して、貨物輸送(砂利輸送)と結びつけて考えるのは自然な成り行きです。しかし、それについて言及したものは見たことがありません。また、存在した時期も大東急が存在した比較的短い期間に限られます。

 実際にこの連絡線を通って移動したのは社用品を運んだ貨物電車だけであり、目的は車輪の削正などとされます。

 車輪を削る程度の作業のためにわざわざ京王の車輪を大橋まで運ぶか、というのももっともな疑問ですが、戦時下であり以下のような可能性が考えられます。

  • 削正の専用機材が国内で製造できずに不足しており、少数の機材に集約して処理した
  • ノウハウを持った人員が徴集され不足していて、特定の場所に集約して処理した (きむらたかし@三田用水さんのアイデアです)

 いずれにしても、下高井戸連絡線は戦時下と切り離せない大東旧時代のものなので、貨物輸送との関連性は(今のところ)全く認められません。

線路南側のスタープラザの駐車場 §

 日大通り西側に存在した京王下高井戸駅の範囲として想定されるのは以下の範囲のみです。

 なぜこの範囲に限られるのかといえば、理由は2つあります。

  • 所在地は松原とされるが、これより西側は下高井戸になってしまう (だったと思う。当時の所在地としてここは松原)
  • これより西側は線路が登り勾配であり、駅の立地としてはあまり良くない

 従って、スタープラザの駐車場は直接的に関係はないと考えています。

東武ストアの前身 §

 私の記憶では、ここが京王ストアだった時代は無いはずです。

 そもそも、京王ストアは下高井戸に存在したことが(少なくとも私が覚えている範囲では)無いはずです。

 (だから、桜上水の京王ストアを非常に珍しいものとして見ていた記憶がある)

下高井戸周辺史雑記